歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

ドンズの穴

今年の雪解けは例年より早いのか、それとも温暖化のせいなのか、
ともかくも何だか春の訪れが早いようだ。

その故にか、
最近友人たちからの「初モノ行者ニンニク採った!」の報に焦りを覚えることが多い。
何せうちは商売なわけで。
しかしもし自分のナワバリにあったとすれば、例年よりもひと月は早いタイミングである。
いくら何でも早いとは思いつつも、しかしとりあえず今日、
妻、アゲと山の様子を見に行くことにした。

あればいいとは思いつつも、
季節の体感としては、まだ山や沢の日陰に雪の残る今、
あっても海沿いや湿原周りの日当たりのいい南斜面などに限られるだろう。
妻を連れて行く以上、熊の事故があったばかり海沿いや、
確実に採れるであろう崖の上のようなところに行くつもりはない。
自分がいつも行くところは期待薄だと思っていた。

故に装備の準備も軽く考えていたのだが、
俺以外の二人の考えは違っていたようで、
アゲはネギを入れる様に、と大きめのズダぶくろを、
妻はカゴの他にリュックまで持っていこうとしていたので、
思わず
「あんたらどんだけ採るつもりなのさ、この欲たかり」
と笑ってしまった。
「欲たかり」というのは、
おそらく「欲張り」と「たかり」を合体させた(?)ニュアンスの、
俺のお気に入りの北海道弁の一つだ。

そんなこんなで車で出発すると、
近所の兄貴がウォーキングしているところとすれ違う。

「あの人は毎日歩いてるよね」
「阿寒湖のそれぐらいの世代の人たちが一斉に歩きだしてるよね」
「年齢的に曲がり角っていうか、今身体を何とかしとかんと今後ヤバイ、ってなるよね。俺もそうだし」
「命根性汚くなる歳か、ははは」

と俺が笑うと妻が「なんて酷い表現」と笑うので、

「命根性汚いって、俺の好きな北海道弁なんだよ。さっきの欲たかりもそう。あとドンズの穴」
「何?ドンズの穴って?」
「まあその、肛門のことだね」
「ドンズ、ってどういう意味かな?」
「多分、ドン詰まり、からきてるんじゃないかな」
「どん詰まりの穴ってことか」
「口は入り口、肛門はどん詰まりってことだね」
「フン詰まり?」
「いやそうじゃない」

馬鹿な話をしている間に目当ての林道に到着する。
車の腹が擦らないように慎重に森の奥へと車を走らせながら、
笹原の中に行者ニンニクが見えないかと目を走らせるが、
緑色に欠けた、カサカサに乾いた山林の風景は、
やはりまだ山菜の時期にはあと一歩、という雰囲気である。

何も見つけられぬままに現場へと到着する。
森の入り口で、山菜シーズンの初めにやらねばならぬことがある。
手頃な木の下で、用意した供物各種を取り出し、三人でカムイノミを行う。
先年の恵みと安全に感謝し、今年の山菜採りのお願いと、安全への願いを、
米や酒などの供物を自然とカムイに捧げながら、できるだけ真摯に祈る。
今の世界の人間は、自然から収奪するばかりなのに、
自然は一見変わらずに、今のところ毎年、さまざまな恵みをもたらしてくれる。
感謝するのは当然のことだ。
カムイのおわす豊かな道東の山に入る者の心構えとして、最初の入り方は大事だ。

そのあとしばらく森を探し回ったが、やはり早すぎたようだ。
頭を出したばかりの細いものはまあまあ見つかったが、
どれも採るには忍びないようなものばかり。
それしかないから、などと考えなしに採るのは、
素人か、頭が悪いやつか悪人のすることであり、
素晴らしい自然の中で、カムイたちの存在を感じながら歩き回る俺たちに、
そんなことなどできるはずもない。
妻の見つけたそれなりのもの五本を手に、感謝して帰ることとなった。

帰り道、妻が蕗の薹を採りたいというので、
途中また林道に入り、蕗の多い小さな沢の近くへと立ち寄った。
妻が蕗の薹を採っている間、
沢の周りを歩いて一応山菜を探してみるが、
日陰がちなその差泡の周りの地面はまだ凍っていた。

寒々しい気持ちで歩いていると身体がそれに反応したのか、
急に腹が下ってきたので、車に水の入ったペットボトルを取りに行き、
近くの茂みの中で野糞をすることにした。
人間は自然から奪うばかり。せめてチャンスがあれば返さなければなるまい。
良さそうな場所でしゃがみ込み、踏ん張りながら前を見れば、
何かに食い散らかされたとおぼしき鹿の骨の破片と、
腐りゆくヤチダモの倒木が見えた。

きっと俺のウンコも、
あの鹿や木と同じように、様々な生き物や菌類の餌となり、
回り回って、また別の存在の一部となるのだろう。
最初があれば最後もあるが、全ては繰り返し、また繋がっている。
その永遠の循環こそがカムイの法則だ。
そんなことを考えながら、ペットボトルの水を尻にかけながら、
俺はインド式に肛門を手で洗ったのだった。

帰りの車の中で、俺は何度も自分の指先の臭いを嗅いで、妻に怒られた。