歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

結局はニホンなんてそんなもんか?

今日娘と話してて感じたけど、たとえ未来の現実がゴリゴリの管理社会でノーフューチャー糞ブラック社会でも、メタヴァースの中でアニメ美少女に受肉してやりたい放題できるならまあいんじゃね?的なニホンの若者多そうだし、実際ヒッピーイズムの延長線上から産まれたパソコンやスマホ、その中からオルタナティブな業界として始まったゲーム業界の成果としてのインターネットやメタヴァースな訳だけど、それが結局は支配の道具になってしまうって構図、カウンターカルチャーのシステムによる利用のされ方としては伝統的ですらあるよなぁ。その先にサードサマーオブラブってあんのかな?
なんでこんなこと書いてるかっていうと、今日から一週間、勝手に選挙ウィークということで、店でRCサクセションの「COVERS」をかけよう!と急遽思い立ち、ずっと店で流してたんですよ。
なんでそのアルバムを?というのは知らない人はSpotifyかなにかで聴いてください、という感じです。ザ・タイマーズの生放送夜ヒットの「FM東京オマンコ野郎事件」につながる傑作アルバムですから。まあ一曲目の「明日なき世界」、二曲目のボブ・ディランの傑作カバー「風に吹かれて」だけでも聞いてもらえれば、そして先日シェアした自民党の怖すぎる憲法改正案を見てもらえれば、その意図は簡単に伝わると思います。
えー、それで店でずっとかけていたところ、店で働いている娘が、「これじゃない音楽にしてほしい」と言い出したわけです。理由を聞くと「政治的と音楽を結びつけだものを聴きたくない。」ときました。
OMG。まあ多くの日本人の正直なところでしょう。ニホンの政治的無関心は現実主義という名の盲目的な現状の追認、その背景は現状維持をただ願うだけで何もしたくない、「今まで通り」を何も変えたくない、という生活保守と反知性主義のないまぜになった空気に支配された社会から必然的に生み出されたものです。それに過剰適応せざるを得ない若者たちは尚更そうなったとしてもおかしくありません。
当然今度の選挙の争点のことなど興味はありません。なんとなく今まで通りが続けばいい、なんとなくそうなるんじゃないか、漠然とした不安を感じなくもないけど、それしかないわけです。
そんな若者たち、いや我々の逃避の先はちょっとした消費行動とインターネットです。それが最も簡単に手に入る。その先にあるのはメタヴァースの提供してくれるであろう異世界転生。荘子のいう「胡蝶の夢」ですね。現実とメタの逆転で幸せを見出す。まあオッサンの愚痴さ。こんな事書いたってどうせ誰も見やしねぇ。当たり障りのねぇ「飯うめえ」「猫かわいい」だといいね!がたくさん付く世界のお目汚しでした〜☆テヘ☆

別にどうでもいい事だよな。「神国ニッポン万歳!鬼畜米英!」とかみんなでいってたのが、戦争負けた途端に「民主主義サイコー!アメリカ万歳!」っていいだして、今また世の中が変わったら、それにただ合わせりゃいいだけ、美学じゃ腹は膨れねぇ、そんなリアルがあるだけの社会、そんな国だもんね。なんかあったら水に流して終わりましょ。

人類史上、多分3人目ぐらい

今日はGWからの観光シーズンを迎えるにあたっての毎年恒例、コタンの共同清掃の日だったんですが、アイヌシアターイコロの前を掃除してたら芸術館の森の中からアカゲラが木を掘る音が響いてきたので、「偉いな〜アカゲラは。毎日一生懸命ああやって働いてさ〜。俺なんかアカゲラに生まれてたら生きられなかったよ…」というと、先輩が「そうだよ郷君。君は少しアカゲラの爪の垢でも飲んだほうがいいよ」といわれましたが、人類の歴史が始まって以来、「アカゲラの爪の垢を飲んだほうがいい」といわれたことがある人間って一体何人いるだろうか? そういう意味で、今日は人類史においても、自分の人生においても、エポックメイキングな日となった。

 

散歩の感想

今日の店は暇だったので、三時を待たずに自転車に乗った。お気に入りのスキー場へと向かう道にまず入る。雪がだいぶ溶けて林床がだいぶ見えてきたが、葉や下草のない明るめの森は、奥までよく見渡すことができる。まるでタイガのように見えるこの時期の森が好きだ。北方の針葉樹林の湿地帯の風景に、デルス・ウザーラ星野道夫やシベリアタイガーやホロケウカムイの姿を夢想する。白く光る太陽に照らされキラキラと光る小川を眺めながら、頭を出し始めたバイケイソウの淡い緑色やチライアパッポのなんともいえない黄色を楽しみながら、道が登りに入るとギアを軽くして、胸や腹や脚の動きを意識しながらリズミカルに呼吸とペダリングを連動させることに意識を置く。運動不足が続いていたから少し苦しいが、それもまた楽しい。坂を登り切れば景色が開け、振り返れば阿寒カルデラの広大な森に包まれた阿寒湖と山々が見える。何度見ても笑っちゃうぐらいに雄大で、私たちみんながここで生かされている包容力を感じずにはいられない風景。一般的な日常とはいえないかもしれないが、その中からすこし出るだけで、この世界が存在する事がいかに奇跡的なことか、多様な自然がいかに素晴らしく美しいものなのか、そしてそれに気づかせてくれたこの人生の巡り合わせがいかに幸運だったのか、そんなことをこの阿寒湖畔では思い返す事ができる。

忘れる前に少し

うちの村の無茶苦茶な昔話を聞くと滅法面白くて、法を鼻で笑い掟にはギリギリで従う滅茶苦茶な本能人間たちがエネルギッシュにぶつかりまくるドタバタなんだけど、その頃はよかった、活気があった…という年寄りの話に頷きつつ、生存バイアスって言葉は知らねえだろうな、とも思う。

その面白話の影で何が踏みにじられ、誰が泣き、居られなくなったりして黙って去った人たちだってたくさんいただろうと思う。強い光を放つ物語の影って濃いってこと。でもそれから時は過ぎて、元気すぎた世代は死んだり自滅したりしてどんどん退場していって、ある意味平和だけど薄まった今がある。

みんな穏やかになって普通に慎ましやかに暮らしてる。でも俺様天皇たちの強烈な個性のぶつかり合いが主導する代わりに、大企業と行政と補助金が空気みたいに問答無用に全てを差配するようになったし、いつの間にか誰もそれに異をはまない、はさめなくなってる。その一方でどんどん漂う閉塞感。どうしてそうなったのかなー?いったいどうあるべきだったのかな?何が良くて何が悪いのかね?そこら辺を一回みんなで話してみたい気もするねー。

まあすべてはそのうち忘れ去られて、モラルっつーか人目を気にしい人間だらけの薄まったつまんねー、システムの末端で上から降りてくるもんに依存するしか能のない人々の暮らす場所に、未来のここもなんのかなぁ? ニッポンの縮図だからなーここは。まあ21世紀になっても屑のジジイ独裁者は猛威を振るってるし、温暖化は止めらんねーみたいだし、結局はいつだって自分でできることをやるだけ。過去から受け継ぎつつ大事なものを守りながら楽しくやんないとね。仲間と一緒に楽しい場を維持しよう。結論はいつもそれ。

それぐらいなら、大丈夫

ある日、東京に怪獣が出現し、たくさんの人が死んだ。

怪獣は自衛隊によって殺されたが、

怪獣は環境破壊や海の汚染による突然変異によって産まれたらしく、

怪獣の死骸や体液は環境や人体にとって有害で、政府はその処分に苦慮した。

死体や汚染土壌処理は遅々としてなかなか進まず、

仕方がないので政府は、早期の復興を断念し、

周辺地域は封鎖され、住民は立ち退きを迫られた。

それから何年も過ぎると、それはすっかり日常の一部になって、

人々はそのことを忘れて暮らし、

何もなければ、思い出すことはなかった。

 


若い男と女が居酒屋にやってくる。

「とりあえずビール?」

「そうね。すみませーん、とりあえず生二つお願いしまーす」

「はーい。……あ、お客さん?すみませんが、手袋は外さないようにお願いします」

そうだった、と男は思った。以前のくせで、ついおしぼりを使おうと、手袋を外してしまう。

「あーはいはい、ごめんなさいね」

慌てて手袋をつける。すかさず店員がやってきて、男が素手で触ったテーブルなどを「失礼します」と消毒した布巾で拭いて去っていった。

女が小声で、

「……ねぇ、けっこう神経質な店なのね、ここ」

と店員をチラリと見ながら囁く。

男はちょっと口を曲げながらも、同じく小声で、

「……まぁ、仕方ないだろ?そういうご時世だもんな。なんかあったら、営業できなくなるんだろうし」

と訳知り顔でいう。

納得できないように女は小声で続ける。

「……でもだってさぁ、政府は「一日三匹、一食一匹までの魚なら、健康に問題はない」っていってるじゃん。それに、もし感染しても…」

と、ここで生ジョッキが二つやってきたので女は口をつぐんだ。

「まあまあ、とりあえず乾杯」

「乾杯!………ぷはー!美味しいね!」

「仕事の後のビールは最高だな……まあさ、とにかく」

と男はお通しに箸を伸ばしながら、

「国や学者がいってる通りにしとけば無難さ。とりあえずなんかあっても、それなら文句をいわれる筋合いはない。安心して飲めるよ…あ、お通し美味い」

「でもさでもさ、おかしくない?」

「なにが…あ、ビール飲む?」

「飲む飲む。すみませ〜ん、生二つくださ〜い!………感染しても、基準値以内なら、手のひらにそんなに毒って出ないんでしょ?テレビでそういってたよ〜?」

酒に弱い男は、もう顔を赤らめながら、

「んー、何だか俺にはよくわからんけどさぁ…まあなるべく不必要に手袋は外さないでくださいってことだし……それにさぁ、なんかあったら、まずいじゃん」

「なにが!」

女の目はすわってきていた。

「おいおい、もう酔っ払ってるの?」

「それはあなたでしょ!私は全然大丈夫!それで、なにがまずいってのよ!」

「…………ぷはぁ、いやぁ、ほら、よくいうじゃん……毒に感染しても、ほとんどの人に健康の害はないけど、たまに重症化するし……えーとほら、手から出る毒が、お年寄りや病気のある人に感染したらまずいってさぁ」

それを聞いた女は少し声を落とし、

「そりゃ、まぁ、そういう話も聞いたことがあるけど…でもさぁ、みんながみんな、毎日魚を食べるわけじゃないし、感染る人っていっても、10000人とか1000人に一人とかでしょ?実際周りで見たことないし…」

まあなぁ、とすっかり赤ら顔の男はため息をつきながら、

「もうやめない?こんな話。せっかく飲みにきたんだし、なんか美味そうなツマミでも食べようよ」

「そうね」と女はメニューを手に取ってパラパラとめくる。

「あ、この近海物のお刺身のお造り、美味し…」

「いや、それはちょっと」

と男が食い気味に止める。

「え、なんで?まさか気にしてる?」

と女がニヤニヤとした笑みを浮かべるが、男は少し酔いが覚めたような口調で、

「……いや、問題ないとは思うけど、わざわざそれを食べる必要、ないよね?」

女の茶化すような笑顔が、ゆっくりと真顔になる。

 


遅々として進まず、経費ばかりが膨らみ続ける怪獣の死体処理に苦慮した政府は、

「充分に薄めた上で、怪獣の死体や毒成分を海に投棄する」という方針を発表する。

たちまち反対意見が出るが、

繰り返される「食べて応援!」などの政府の広報キャンペーンや、

見返りの各方面への交付金により、やがて沈静化。

やがてこれも、多くの人に忘れ去られるかと思われた。

 


数年後、太平洋沿岸部で未知の病気が広がり始める。

「投棄された怪獣の体細胞や血中成分が病原菌化し、感染した魚を食べた感染者の手のひらの汗などから、他人へと感染する」

そんな研究結果が発表されると、忘れ去られた怪獣への関心が一時的に高まり、政府への批判の声が高まった。

論文発表後、ほどなく東京都で、「初めて公式に確認された感染者」が3名発表されると、

この未知の病気に対する不安は、メディアの格好のネタになった。

東京都の感染者数が10人を越えた時、都は非常事態宣言を発令、

ベイエリアに残る怪獣の死骸を覆う建物をライトアップし、

世論の不安に押される形で、

次の日から2週間の都市封鎖を敢行した。

メディアは連日「不要不急の外出を避け、感染防止対策のために手袋をつけるように」と繰り返した。

政府は総理の肝入りで、全国民に古い軍手を送付、

その経費に数千億円を費やした。

 


しばらくすると、経済への悪影響が表面化してきた。

すると今度は政府やメディアによって、

「手袋をすれば普段通りに生活して大丈夫」というキャンペーンが始まった。

一部からは、

「手袋をしても、満員電車などでの他者への感染の可能性」

「コンビニやスーパーなど、不特定多数の人が触ったものを、消毒することへの難しさ」

などさまざまな指摘もあるにはあったが、政府の、

「直ちに害があるとは認められない」

という答弁の繰り返しと、

「たまに周りで感染者が出て、運が悪ければ死ぬかもしれない、という程度」という認識が空気のように広まると、

やはり人々はこの病気にも慣れてしまった。

今まで通りの日常生活を送りたい、という欲求は、何事にも変え難い。

実際に自分が当事者にならなければ、実感などは持てないものだ。

 


「ありがとうございましたー」

男と女は居酒屋から通りへと出た。

二人でゆっくり連れ立って歩きながら、女がぽつりと、

「さっきは変なこといっちゃって、ゴメン」

やや千鳥足の男が

「なにが〜?」と答えると、

「ほら、魚のこと。わたし、けっこうお魚好きだから、ちょっと、ね」

「あ〜、こっちもゴメンね〜。俺もそんなつもりじゃなかったっていうか」

「まあ結局、お刺身食べちゃったし」

「そうだねー。俺は食わなかったけど…」

「好き嫌いはしょうがないよ……ねぇ、このあと、どうする?」

と女が頬を少し赤らめて男の顔を覗き込む。すると男は歩みを止め、女の目を見て、何かを思い出したように目を逸らしながら、

「……ああ、今日はゴメン、実はちょっと仕事が残ってて……帰るわ、また…」

と立ち去りかけた。

「えっ?待って」

女は思わず腕を掴む。すると男は反射的にその手を振り払う。

「なに、どうしたの急に?仕事?本当に?」

「本当だよ、あのほら…」

「魚を食べたから?」

「いやちが…」

「魚のせいなんでしょ?……嘘でしょ?信じられない…」

「………だから違うって」

「私から感染るかもって、そういう意味?」

弱りきったような男は、

「うーん………まあでも………無いとは、いえない、よね?」

愕然とした女は頭を振り、ため息をつく。

「信じられない…何いってるかわかってる?」

男もため息をついて、眉間にちょっと皺がよる。

「君こそ、ちゃんと考えるべきだよ。リスクはゼロじゃないんだから。何かあったら、人に迷惑をかけることになるんだよ…?」

少し呆れたような口調が、酔った女の逆鱗に触れる。

「そんなこというなら!何で飲みになんか出かけられるの?」

「いやそんなことを言い始めたら…」

「ちゃんと気をつけるってんなら仕事だって無理!買い物だって無理!いちいち何かを触るたびに、手袋を消毒したり交換したりしてる?してないでしょ!」

「そんな極端な…」

「でもそういうことじゃん!本当は!気をつけるってんならそこまでやらないと意味ないでしょ!なによ!魚を食べる人を悪者扱いして、自分は気をつけてます、感染するのはどこかの考えが足りない人って、バッカじゃないの?!」

「ちょっと君落ち着いて…」

「うるさい!」

女は怒りのままに手袋を外して丸め、思いきり投げて男にぶつけると、「ふん!」と言い捨てずんずんと去っていった。

虎の尾を踏んでしまって弱りきった男は、しばらく女の後ろ姿を眺めていたが、やがて見えなくなると、ため息をついて、落ちた女の手袋を拾いながら一人呟いた。

 

「……そんなこといったってさぁ…そこまでいったら、生活なんて、できねーじゃんかよ……どっかで線引くしかねーじゃん……国があーいってんだから、それ守ってりゃいーじゃん……でもわざわざ魚なんて食う必要ねーだろ……なんでわかんねーのかな……気持ちわりーじゃん、魚食うやつとかさぁ………理屈じゃねーっつーんだよ、そんなの………」

 

そういうと男は、手袋で額の汗を拭き、「飲み直そ…」と呟くと、夜の街へと消えていった。

変わるもの変わらぬもの

神のごと

遠くすがたをあらはせる

阿寒の山の 雪のあけぼの

 


啄木が釧路を離れる船上で詠んだよされる歌だが、道東のどこからでも見えるランドマークである雄阿寒岳が神々しく輝く様が目に浮かぶような、美しい歌だ。

 


「アカン」という言葉の語源には諸説あって、その中の一つが「不動という意味」というもの。遠くからでも目印になる地形は古い語源を持つことが多く、地名が変化したり、当て字され意味が狂ってしまったりする場合もまた多いが、「阿寒=不動」説はなんとなく、釧路・根室地方の陸上・洋上のどこからでも見える雄阿寒岳の名前として、道理にかなっているように思える。想像だが、フジ、ノト、などと同じように、古代の旅人が目印として使用した地形として、アイヌ語で解釈すればなんとなく意味がわかるようなわからないような、的な日本列島周辺で広く使われていた古代語の一つが、その名付けのルーツであるように思う。

 


そういったランドマークや風景を眺めた時、ふと「今自分が見ているこの風景は、石川啄木も、前田正名も、松浦武四郎も見た景色なんだな」と気づく時がある。その一瞬をきっかけに、私たちは時空を越えることができる。彼らと私は確かに今、同じ景色を見ている。丸木舟で太平洋を行き来した古代の旅人も、ある日の山菜取りでふと目を上げた虹別のメノコも、その時同じ山を見た。クナシリ場所でアイヌを鞭打とうと振り上げた腕の先にも、別海の大森林地帯をブルドーザーが薙ぎ倒し、一服しながらヤカンを持ち上げた時も、常にその山はその場所にそびえていた。

 


不動に見えるランドマークに対して人の世の中は無常だ。歴史を見れば一目瞭然。帝国は滅びた。愚かな独裁者は死んだ。多くの良き行いと、最悪の悪業があった。そして人々は何も学ばず、あるいは忘れ、繰り返し口当たりのいい嘘つきに騙され、あるいは積極的に信じて、そのツケを自らの子孫が地獄の業火に投げ込まれることで支払うことを繰り返す。しかしエントロピーの法則は絶対だ。どんなことも、いいことも悪いことも、いつかは必ず終わる。自然を見ると癒されるのは、そこに繰り返される四季や循環法則が、軽挙妄動する愚かな人の世に比べて、確かなもののように思えるからかもしれない。人間の本質は石器時代ネアンデルタールたちを滅ぼした時から何も変わらず野蛮極まるままなのに、取り巻く世界は、作り出した社会はあっという間にこんなふうになってしまった。そしてそれは欲望によってますます加速しながら人すらも置き去りにして、見る間に地球環境を食い潰そうとしている。だけどまだ今は、少なくとも日本に生きる我々、自然の多目な場所に生きる人や旅行に行ける余裕のある人ならば、例えば阿寒湖にやって来さえすれば、変わらないように見える自然を感じることはできる。

 


だから私は、今日も阿寒の森を歩く。アカゲラが鳴き合うのを聞き、西日と風が木々の間を抜け、オレンジ色に照らされた雪面に描かれる芸術的な影絵を、言葉を失いながら佇んでじっと眺めて堪能し、森を抜けたボッケのある湖畔にひっそりと建つ石川啄木の歌碑にやってきた。歌碑の周りの木の枝枝、遠くに霞んで見える雄阿寒岳、そして緩み始めた風に思わず春を感じる。杜甫の「春望」が脳裏に浮かんだ。この自然は不動不変だが、優れた詩は普遍だ。今日はそんなことを思った。

「平家物語」見たい

祇園精舎の鐘の音には、「諸行無常」、つまりこの世のすべては絶えず変化していくものだという響きが含まれている。沙羅双樹の花の色は、どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続くものではなく、まるで覚めやすい春の夜の夢のようだ。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう。それはあたかも風の前の塵と同じである。」

こんな人の世の真理を、諦念と達観をベースに簡潔かつ音楽的詩的に表現しきっちゃってる震える冒頭から始まる日本文学の傑作、平家物語。まあアイヌの誇る天才知里幸恵はもっと美しく簡潔に表現してるけどね。

この平家物語をベースにした新作アニメがネトフリなんかで見れるけど、ヤバイっスよ。なにせ、終わりがわかってる。栄華の絶頂を極めた平氏が、いかに滅びていくかという物語なわけです。考えてみりゃ珍しい形式の物語だよね。並行して源氏が勃興するわけだけど、奇しくもNHK大河で放送されている鎌倉殿で描かれるように、源氏は北条氏に簒奪されるわけです。ゆく川の流れは絶えずして、しかし元の流れにあらず。人の世の勃興はくだらなくもひたすら繰り返されるように見える。

しかし「歴史」や「物語」といわれるストーリーの中には、目立つ、目立たないを問わず、たくさんの人々が関わり、それぞれの想いの中で生きて行動してるわけです。逆にいえばそれらたくさんの人々の行動の総体やそれを取り巻く自然全てが「歴史」なわけだけど、俺らは目立つ人を中心とする物語としてそれを捉え、自然環境は単なる背景としてしか考えないから、そのことを忘れがちになっちゃうね。

物語である以上、メインとなる何人かの人間を中心とするストーリー展開になるのは、まあ致し方ない部分はあるけど、もう俺、世にはびこる人間中心主義的な物語には飽き飽きしてる。ゆえにたとえば「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」なんて表現、あるいは「国破れて山河あり、城春にして草木深し」なんて表現にグッときちゃうわけです。自然は未知と理解不能性や予測不能性に満ちていて、そこがたいへん素晴らしいところなんだけど、人が世の愚かなわちゃわちゃの繰り返しに疲れ切ると、諸行無常で理解不能な自然の超然とした営みに、なぜかどっしりとした安定感を感じちゃうんすかね? 杜甫が泣いちゃったように。

しかし今このタイミングで、なぜアニメ「平家物語」をつくったのか。そこには大変興味があるね。同じくネトフリで話題の「ドント・ルック・アップ」や「地球外少年少女」なんかも同様に、今作られるべき、極めて現代的な意図があるような気がしてます。