歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

事実と物語の狭間で

名手ドゥニ・ヴィルヌーブ監督による傑作SF映画「メッセージ」には大層泣かされた。原作はSF短編の名手テッド・チャンあなたの人生の物語」で、このタイトルを読めば映画を見た人ならば「ああ…なるほど…」と思わずグッとくる事だろう。この表題がタイトルとなった短編集も傑作で、どれも大変面白いので、読んだことがない人にはオススメです。

そのテッド・チャンが2019年に出した次なる短編集「息吹」もまた大変に素晴らしい内容で、一話読むごとに感心してため息が出たり、見事なアイデアや価値観の転換にインスパイアされて色々な考えが湧いて来たりと、急いで読むのがもったいない。素晴らしい物語ってずっと楽しみたいものじゃないですか。早く読みたい気持ちと、終わってほしくない気持ちの板挟み。俺はそれに子供の頃からずっと苦しめられています。その解決として複数の本を同時に読み進めるという方法を取るようになりました。

そんなこんなで最近ようやくその中の一編、「偽りのない事実、偽りのない気持ち」を読んだのですが、これがあまりにも胸に刺さる内容というか、さらにいえば「年頃の娘がいるダメな父親」、すなわち俺のような人間に致命的な内容となっており、その影響からなかなか立ち直れず、ぼんやりと過去の自分の言動を思い返しては、ため息をついたり頭を振ったりもすれば、小説の指摘する普遍的な問題提起から必然的に世界情勢まで考えさせられ、素晴らしい創作物が人に与える影響はほんと、馬鹿にできないな、と改めて感心するやら。本当にテッド・チャンは天才。

その内容を簡潔にいえば、「人間は物語の中で生きている。「記憶」と「事実」は本質的に異なるが、人はしばしばそれを混同する」というもので、語り手たる妙齢の娘がいる父親が、過去の自身の娘に対する、自分が記憶している言動の真実を突きつけられて…というもの。

子供がいる親ならば、いや人間皆、よくよく考えれば人生のどこかで似たようなことが思い当たるのではないだろうか。「人はみな物語の中で生きている」というのは、人の記憶とは不変の事実などではなく、自身に都合がよく絶えず修正されるものだ、という意味だからだ。これを否定できる人はなかなかいないと思う。

俺も娘や息子に対して、妻や両親や身近な人たちに対して、客観的事実としてどうだったのだろうか…と考えると暗澹たる気持ちになるし、これからはなるべく人の色々に対して寛容にいよう、身近な、大事な人たちと、お互い気持ちよく過ごせるように配慮しよう、と改めて思った次第です…

さらにいえば、最近のアメリカや日本などでよく散見される「科学的・歴史的・社会的・倫理的な事実や真実とされるものなんて物は政府や偏向メディアなどによるデマ。自分の主観の方が正しい」という、社会の進歩に対するカウンター運動の根源についても「なるほどなぁ」と、この短編を読んで思った次第。優れた視点による表現は、こんなに色々と考えさせてくれる。テッド・チャンの「息吹」、傑作です。