歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

2020年4月17日

‪「今は平和な田舎に暮らしていると、戦争が始まっても、生活の不便さがあるだけでどこか遠くの出来事のようで、なんとなく他人事で、実際に近くにかわいそうな人が出たとしても、心のどこかで「でも自分とは関係ない」と感じる。実際に自分に降りかかるまでは」という「この世界の片隅に」のリアルに改めて震える日々だ。

兎にも角にも日常は続く。緊急事態宣言が全国に拡大された初日、どうしようか迷ったけど、とりあえず店を開ける。

多くの飲食や自営業が声を大に「給付金を!」と求めるのは、「自粛をただ求められても、このままじゃやってけない」という問題が一番だけど、「感染拡大防止に閉店して協力したい気持ちはあるし、不特定多数の人を迎え入れる業者への不安もないといえば嘘になる。でも生活保証がないからそれでも開けないと生きられない、でもそれでいいんだろうか…」という道義的なプレッシャーもあると思う。大きな視点でしか見えない、あるいは想像の欠落したお上には、そういう人たちの生活も今はまだ許容できる犠牲なのだろうが。

開けたら開けたでそれなりに人が来るものだ。内心の不安や戸惑いを心の底に押し込めながら、こんな時だから尚更、努めて笑顔で対応する。ありがたいという気持ちに嘘はないから。

夕方になり人気も絶えたので、自転車に乗って湖畔を走ってきた。阿寒横断道路の入り口の駐車帯まで行って引き返してくると、スキー場の現場ボスと行き合ってしばらく世間話をする。

嬉しかったのは、彼が「いよいよ商売が厳しくなったら、冬の間スキー場に戻ってきたら?」といってくれたこと。この言葉を忘れない。彼の心をずっと憶えていよう。

別れて雄阿寒登山口の湖の辺りで写真を撮り、阿寒湖畔に戻ってきたらちょうど夕日が沈む頃。綺麗に整備された湖岸園地にすわってしばらく美しい湖と太陽と雲を眺めていると、唐突に「この素晴らしい自然があるかぎり阿寒湖畔は大丈夫。美味しいユックオハウやアマムを作っていれば大丈夫」と改めて気づいた。しかし確実なそれらの事実に比べれば、人の世はたやすくうつろう。適応のためには少々の根性や努力がひつようだろう。