歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

そんなことよりも大事なのは

すぐに俺はそれに慣れて忘れてしまうだろう。でも体験したりその感覚が蘇ると何度でも鮮やかに思い出せる。大事な事はそんなものだ。でもやはりまた忘れてしまうので、その前にできるだけ書いておこうと思う。

 

今日は突発的にみんなでドライブする事を妻と決めた。

お父さんお母さんに下倉家も誘った。

男と女に分かれて、まずは屈斜路湖畔を目指す。

双湖台から美しくも威厳のある、我らの住む阿寒湖を護りそびえる夫婦山を眺めるところから始まり、横断道路を仁の選曲を聴きながら下って屈斜路の池の湯に到着。

初めて来たけども、穏やかな湖と、昔屈斜路コタンのアイヌの人たち、子供の頃のシゲコ姉さんなどもここまで風呂に入りに来たという、歴史を感じさせる静かな天然の自噴する湯船の景色は、深く印象に残った。

周りの葦原からはエゾアカガエルの鳴き声が聞こえてきて、暖かな日差しとあいまり、この上なく春を感じさせ、今日は楽しい一日になるという予感が一層強まる。

池の湯を出発し、川湯温泉を通り過ぎて、見えてくるのは硫黄山の威容。

感心しながら一路、次に藻琴山の上を目指す。

助手席に乗るお父さんも「この道は初めて来たなぁ」やや興奮気味。

峠を登り、浜小清水への分岐手前の駐車帯に車を止めると、屈斜路湖と周囲を取り巻くカルデラの山々が織りなす広大な景色を一望に見渡しながら、湖から吹き上げる春の暖かい風をしばし楽しむ。

浜小清水の海へと一直線に向かう峠道を走り出すとすぐに、藻琴山の針葉樹林の向こう正面にはオホーツク海、その東に白く美しい斜里岳、そしてそこから連なる神々しい知床連山が青空の下に浮かび上がって見えた。

思わず車を止め息を飲む。

こんな素晴らしい道の連続が、隣町にあったなんて。

そしてそれを知らずに二十年も阿寒湖で生きてきたなんて。

人生は発見の連続だ。

これだから人生は捨てたもんじゃない。

名残惜しくも走り出し山の道を抜け田園地帯を過ぎ、閑散とした小清水の街の通りをマスクをした人々がポツポツと歩くのを眺めながら通り過ぎてオホーツクの海へと近づく。

空の色に海の雰囲気を感じ始めた頃に浜小清水の道の駅に着き小休止。

店は全て閉まり、道の駅のアイスは半額。

出発して俺の希望である濤沸湖へ。

水鳥の楽園であるラムサール条約登録の汽水湖である濤沸湖は、いつ来ても太古の北海道を想像させてくれる素晴らしい雰囲気の場所だ。

多様なたくさんの水鳥たち、周囲に広がる手付かずの葦原、その奥の遥か遠くに聳える神々しい斜里岳と知床連山。

釧路湿原やペカンベウシ、霧多布に春国岱周辺もそうだが、広大な湿地帯は原始の日本列島をこの上なく感じさせてくれ、心なしか縄文のDNAが反応しているように感じるのだ。

ここに来てこの風景を見るたびに、どうか常がなく悲しく愚かで、うつろいやすい人間たちの為に、いつまでもこのままで、この場所が残り続けて欲しいと願わずにはいられない。

そのままオホーツク沿岸を西へ網走方面へと向かう。

網走で遅い昼を食べ、サロマ湖で夕日を見る予定だったが、想いのほか各地で時間をとってしまっていたので間に合うかは微妙だが、ここまでの時間は完璧な素晴らしさで経過している。深い満足はあれど、どう終わろうとも不満はこれっぽっちもない。

網走市街を出、海岸線を走り出して束の間。

奇岩二つ岩の手前で、能取岬から知床半島まで広がる広大な湾の向こう側に、沈み始めた午後の日の光を浴びた知床連山の白い山々の頂が、海の霞の上に何とも美しく浮かび上がって見えた。

また思わず車を止め、妻と外に出ると、まず豊潤な塩の香りが鼻を満たし、何の苦労もなくこの海のあまりの豊かさを無意識に理解する。

これも長くこの列島で狩猟採取をした人々の子孫である証だろう。

その香りを楽しみながら、広大な湾の向こう、白く美しく浮かび上がる山々を言葉もなく眺める。

こんな豊かな海の辺りで生きる人たちは何と恵まれているんだろう。

こんな景色が当たり前に存在する網走の人たちは、何と贅沢なのだろうか。

そんなことを考えながら。

道路下の砂浜に妻と降りて、打ち寄せられた大量の貝殻を踏みしめ、大量の海藻類を流木で突いて遊んだ。

ずっとここにいたかったが、日が落ちてきたので出発する。

まっすぐサロマ湖へと向かうのかと思いきや、先頭を走る妻運転の車は能取岬へと曲がる。

思えばここにも初めて来た。

森を抜けると牧草の広がる岬が開け、想像以上に素晴らしい場所だとすぐにわかった。

右手には先ほどと同じく白く美しい知床半島の山々。

左手にはオホーツクに沈む夕日と、金色に輝く海。

タイミングは完璧だった。

そのままみんなで広い草原の岬で思い思いに荘厳な夕日の景色を楽しんだ。

いつのまにか知床側には巨大な虹がかかっていた。

お父さんにここに来たことがあるかと聞くと、何十年ぶりかな、と感慨深げ。

俺もこんなふうに、また家族みんなでこの場所に来ることができるのはいつの日だろうか。

それでも阿寒の夫婦山から始まり、屈斜路湖を抜け、硫黄山から藻琴山、濤沸湖からオホーツク、そしてこの素晴らしい夕日を大事な家族と一緒に見ることができて、今日は本当にいい一日だった。

必要なことも、幸せも、本当は身近に当たり前にあって、実は簡単なことなのだ。

でも、それがわかることができる境遇に自分がたまたま今存在するのは、本当に幸運な事だ。

だからこそ感謝せずにはいられない。

妻を始めとする家族一族と、自分の親や兄弟親族、そのすべての先祖たち、友人知人、先輩や後輩や仲間たち、出会ってきた人たち、そして全てを内包する複雑で精妙な自然、大いなる存在に。

もうこのあと何があろうと、人生に後悔はない。

大事なことはもうわかっていて、なるべくシンプルに謙虚に生きるだけだ。