歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

本覚論的自己弁護。

まりも祭りも終わり、阿寒湖畔の人通りも落ち着くが、

それでもこの場所では、人類の世界に住む人々の何気ない視線の先にごく普通に、

鬱蒼とした癒し系極彩色の紅葉の森の木々がぼぼーんとそびえている。

風など吹けば桂や楡などの黄色系木枯しがさわさわと通りを舞い、

それを前にした人間から簡単に言葉を奪う。

そんなものを見ていれば、ましてや天気のいい朝などに、

まっすぐ出勤など出来ぬのがこれ即ち人情の自然の働きいうものである。

故にふと思い立ち、ムキタケを見にいった。

私の家もやはり、鬱蒼とした森で包囲されており、

すぐ近くには、阿寒湖畔住民の水源となる清流が、

水道屋さん以外の住民からは全く顧みられることもなく、ひっそりと流れている。

上流から現場まで、遠回りをした。

川と風の音しか聞こえない。

すっかり低い軌道をめぐるようになった、午前の白い太陽を見上げる。

眩しい光の中、木々は版画のように黒い姿で枝を広げ、何の作為もなく立つ。

黒の木々の間から、色の概念もむなしいそれぞれの葉が、

ゆっくり静かに清流の上に舞い降りる。

自然の完璧なる姿である。

私のムキタケ畑はその川に倒れこんだ、一本の木である。

間違いなく私よりもはるかに年上だったろうその太い木は、

こんなに人間社会の近くに存在していたにもかかわらず、

誰にも知られることなくある日、折れて倒れたのだ。

そして何年かが経ち、今のようにその全身にムキタケを発生させるのに至った訳だ。

やがては朽ち果て、元素へと分解され、他のものへと姿を変える。

ただ単にその存在そのものが、宇宙の真理を体現しているのである。

きっかけは私の「キノコを採りたい」という欲望ではあるが、

この場を見つけたのも何かの縁であり、

毎年大量のムキタケをこの場所からいただいている。

それは早速調理され、

私も食べ、お客様にも出している。

周囲の森のライフサイクルはいつしか木へと姿を変え、

いつしかキノコとなり、欲望を媒介として、今は人の一部になった。

これぞまさに大いなる宇宙の法則であるといえよう。

ややもすれば否定されがちな人の自然に対する干渉も、

実は宇宙の意思の顕現であり、そのものなのである。

ていう訳なので、今度はマイタケ見に行ってみようかな~・・・・・。