歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

「風立ちぬ」感想

「生きろ」というコピーの「もののけ姫」以降、宮崎駿監督作品から俺は一貫して「このどうしようもない世界で、それでも生きて行け」というメッセージを感じている。

たとえば、蝦夷の純粋な若者アシタカが見たのは、敵対し合うそれぞれに生きていく為の止むに止まれぬ事情があって、利害調整が不能なままに必然的に争いが起きる現実だった。

たとえば千尋が出会う大人たちは両親を含めてほぼ快楽原則に忠実な人々しかおらず、どうしようもない両親の行為の代償として彼女はローティーンでありながら売春宿で健気に働く。

しかし、一人戦争に抗うハウルも含め、愚行を繰り返すしょうもない世界の中で、それでもそこにはまだ世の中や他人を助けたい、なんとかしたいという意思が感じられたように思う。それが、今回の「風立ちぬ」には全く見られない。

皆感じる通り、自分の理想、美しさをひたすら求める主人公は作者である宮崎駿の投影だろう。今回の舞台は戦争の影が濃い日本。夢の中のような少年時代、前半で描かれる名画の中のようにとても美しい日本の風景は、関東大震災世界大恐慌三十年戦争と進むに連れて失われてゆく。それらの世情や貧しい人々、死者や悲惨さは背景としてあっさりと描かれるのみである。そこに対する目線は「偽善だ」と劇中で切り捨てられる。作者の自分で自分に感ずる声であろうと思う。

なす術もなく悪化する社会の中でそれに対しては無力であり、自分の中の矛盾を自覚しながらも、自分の中の理想を追い続けずにはいられない。それも一つの生き方だ。それ以外にどうすることができるだろう? しかしそれだけでは人生は虚しい。救いは愛だ。愛する人との時間だ。自分を理解してくれる人々の存在だ。世の中がどうなろうと、自分の生きる道と愛する人があれば生きていける。それ以外になにがあるだろうか?

少年の思い出の頃の美しい日本も美しい恋人も夢のように儚く消えた。自分の追い求めた美しい飛行機は地獄を生み出した。それでも我々は生きねばならない。儚く消えたものの記憶と共に。

これはある種の絶望と諦念を超えた境地に達した老作家の、偽ることのないフルヌードの心情の吐露の映画だと、俺は思う。だからこそ、とても美しく、そして素晴らしい。