お盆の盛りもどうやら過ぎたようだ。
店は未だ油断ならざる状況なれども、
山から吹き下ろす風に漂う初秋の雰囲気の前にキノコ採りへの止み難い衝動を覚え始めてはや数日。
札幌からやってくる敬服するA師の阿寒来訪をこれ幸いと大義名分に、
ついに先日今シーズン初の松茸採りに早朝の某山中へと向かった。
登山者の姿は見えず、
現場には一番乗りで朝6時ごろ到着。
6号目付近までとりあえず登り捜索を開始する。
がれ場斜面や岩場を登ったり降りたりしながら低い姿勢で灌木の枝の下をしらみつぶしに探して回るも、
松茸どころか、他のキノコもほぼ全く見当たらない。
多湿の日々が続いていたので、
麓はあらゆる種類のキノコの大爆発状態であり、
道すがら期待を深めながらの登山だっただけに、
ここに来てのこの状況の違いに正直言って落胆した。
登山口までの運転中には
「見つからなくて当たり前。駄目元で山と探す行為自体を楽しもう」
なんて自分に言い聞かせていたが、
逆に言えばそれは期待への裏返しであった。
結果が得られないままに斜面を這いずり回り探し回りながら考えた。
なぜ無いのか。
気候と時期のせいか。
捜索の為の技術と経験の不足によるものか。
単に運の問題か。
考えてもしかし、これはわかるものではなかった。
「さっぱりわからん」
一人山の中でそう呟いた。
経験も技術も運も無いので、
予想も予測もなにも成り立たない。
盲目的に同じ事を繰り返しながら、
自分はまるで餌を探し回る動物のようだと感じた。
衝動にただ突き動かされて山の中を動き探し回っている一匹の動物。
そもそも「なぜ無いのか」と考えるのか。
準備や行為のハードルが高く実施が困難であればあるほど、
その結果を当然のように得られると勘違いしがちな自分のよくある思考パターンの成せる技だ。
これはパチンコに行く時の心理に似ていると感じた。
行く時は勝てるはずだと理由もなく思って出かける。
しかし当然の事だが負ける方が多い。
考えてみれば動物もなかなか大変だ。
そして人間様なんていっても一緒だ。なんだかんだいっても、衝動に突き動かされて盲目的に行動しているだけだ。
結局、三時間さがして成果はゼロ。
タイミングと運の問題だとはわかっている。
これを繰り返して経験と発見技術を蓄積していけば、成功確立は上がるだろうとも。
そして久しぶりの登山はとても爽快であったのは事実だ。
しかし、やはり残念だった。
最後に見ようとした沢筋に下っていた時、いきなり後ろから
「採れたかい?」
と声をかけられて魂消た。
慌てて後ろを振り返ると、
岩影に一人の老人が座っていた。
「採れればいいったって、採れないばこわくてだめだ…」
「僕も全然…」
お互いの今日の無残な成果から始まってしばらく話した。
その人は今年で八十歳。もう五十年この山に松茸を採りに入り続けているという。
登山に慣れた者でなければ大人でも音を上げる山である。信じられないような高齢だ。
こんなリアルな生き字引の実体験の話を、
しかも松茸採りという秘中の秘に属するジャンルで聞ける事は極めて稀な事だが、
その人は俺の質問に実に簡単にいろんな事を教えてくれた。
帰ろうとする俺に近くのポイントを教えてくれたので、最後にそこに行く事にして別れた。
結局そこでは見つからなかったけど、とてもいい出会いだった。これもタイミングと巡り合わせだ。松茸は採れなかったが、もしかするとこの為だったのかもしれない。
帰り道、出口付近で先に降りていたその老人に追いついた。
どうだった?だめでした。そうか。
すると彼は懐から携帯を取り出して写真を見せてくれた。
四本の大きくて立派な松茸が一箇所から発生している垂涎ものの状況の写真だった。
これは一昨年のやつだ。これは虫もついてなかったし、香りも味も強くてなぁ。
なんて羨ましい。
すると彼は最後にこういった。
「松茸採りはパチンコと一緒みたいなもんだ。今日こそは、と思っていつも行くが、大概は駄目なんだ。でも、一回当たったら、もうやめられなくなるよ。俺はこれだけが楽しみで毎年来てる。そのうちまあ、ハズレはあまりひかなくなるよ。今日はダメだったけどな」
そういって彼は笑った。俺も笑った。
行動に結果がいつでもついてくるわけじゃない。そんな事はもちろんわかってる。でも楽しいからそれでいいんだ。パチンコと違って登山は気持ちいいし、身体にもいいしね。
しかし、パチンコの例えをまさか彼の口からも聞く事になるとは。これもやはり、何かの縁かもしれない。