歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

繰り返しと変化の産み出す豊穣

今日は昼間にうん十年ぶりかでうちのお父さんお母さんと旧知の増子さんが来店。一昨日の梅原さんの講演と昨日の弟子屈のイチャルパに参加したついでに訪ねて来てくれたらしい。自分は初対面だが、増子さんが花巻出身で今は花巻で市会議員をやっている事、「ゆいっこ」という被災地支援組織を立ち上げ活動していることを聞き、自分も水沢生まれで3.11の一ヶ月後に陸前高田にボランティアに行きゆいっこを知っている事を伝えて何だか一気に親近感。話の中で、壊滅した地区の住民のために高台を造成したら縄文遺跡がどんどん出てきて、それはつまり縄文人はそういった自然の害を避けられる所に居住していたという事を聞く。そういえば、道東のアイヌ縄文時代の遺跡もそうだもんな、と思い出す。

その後はAgue一家の新居となる床ヌプリエカシのアトリエだった家でのカムイノミとイチャルパに参加。清掃したエカシや先輩達に混ざっておっかなびっくりイヨマレクル。いきなりちょっとびっくりするようなこともあって、最初はほんとに震えながら参列してたけど、次第に場は和やかな感じに。ふとエカシを見ると、自分の工房であり多くの時間を過ごしたであろうこの場所を、なんだか感慨深そうにゆっくりと眺めまわしていた。それを見ていたら、なんというか時の流れというか、移り変わりというか、世界は昔からずっといつでも無常で変化し流れて行って、新しいものは古くなり、それがまた新しくなるというその真実の断片をエカシの姿と表情に垣間見たような気がして、なんだかぐっときた。そして伝統はやはり素晴らしい、若い人がそれをやっている姿はなおのこと、と改めて感じた。

その後は釧路に移動し釧路プリンスで行われた梅原猛氏の講演会を聞く。有名な氏の説である縄文人貝塚は送り場であり縄文の循環思想の象徴という話の中で同様の輪廻転生観はアイヌにもあるという話は何時聞いても興味深い。魂は特定の場所からあの世へと行き、またこの世界に生まれて戻ってくる。人間動物物質を問わず心を込めて送り出せば、それはこの世界の豊穣につながるという循環思想。生と死の移り変わりを万物ひっくるめて理解するこの話を聞きながら、なんだか偶然にも一日を通してアイヌと縄文づいていた今日の一日が綺麗に締められたような気がした。