歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

ケ・セラ・セラ

ポロンノCEO・みーばーが、先住民サミットがらみで浦河に出かけるちょっと前のこと。

みーばーはコーヒー片手にカウンターに座り、ふと後ろの壁を振り返り、

「まだこんなの飾ってたのかい」

と笑って言った。

その「こんなの」とは、カウンターの後ろの壁に飾ってある、みーばーの昔の写真。

アロハを着た若き日の彼女が、まだ小さな、水着姿の三人の子供たちと一緒に写っている。

夏の日の、硫黄山川の砂浜で撮ったその親子の写真は、

素敵な絵皿の中に納まって、今のみーばーを笑顔で見かえしている。

「このアロハはばーちゃんから貰って、着ないでしまっておくのもアレだから、せっかくだからってみんなで写真を撮ってさ。たまたまこの写真用の絵皿があったもんだからこうなって。・・・・・どっからみつけてきたの?」

「二階でたまたま。でも、しばらく前からそこに飾ってありましたよ」

先住民サミットの会場に出かけるみーばー、出演する絵美姉ちゃん、

それを見に行く妻と、札幌在住の末っ子長男夫妻。

あのお皿の中の4人は、一人は孫が6人もいるおばあちゃんになり、

3人の子供たちは大人になって、それぞれ結婚し、そして札幌で久しぶりに再会する。

この30年の間に、阿寒湖の景気は頂からふもとへと下っては来たが、

それでもポロンノもアイヌコタンも、そして家族の絆はいまだ健在だ。

次の日、僕が常々リスペクトの念を禁じえない、

おいしいスープカレーと素晴らしいセレクトの物品、びしっと且つマッタリとしたディスプレーの名店、

弟子屈の「辻谷商店」を経営する友達と、彼の義理の母と一緒に、早起きして雌阿寒岳に登った。

店の事は気になるが、まあ昼までには戻れるだろうし、天気もばっちりでいい機会だった。

ちなみに、辻谷商店HP

http://www.tsujiya.com/

「雌阿寒林道側からの景色は、変化に富んでいてとてもいい」

かつて「阿寒川ブログ」の在津君に言われたことを思い出し、そのルートにしたのは大正解。

エゾマツの長い森を抜けると、突如として視界が開け、

眼下の阿寒湖を振り返りつつハイマツの中を進めば、

今度は月面や火星もかくやの荒涼、茫漠たる峰や丘。

とてもカラフルな、火山と風化が生み出した細かな礫の中、

たくましくも控えめに咲く、可憐な高山の花たち。

そして、二時間ちょっとでたどり着いた山頂からの風景は、やはりいつ見ても圧倒的だった。

「まるでグレートウォークだね」

ニュージーランドの世界的トレッキングコースに比べても遜色がない、と絶賛の辻谷君。

母上もお喜びのご様子で、自分としても大満足だった。

帰り道、四方山話の中、お互いに気になるオラが町の経済の話に。

彼の言ったこんな話が心に残る。

弟子屈は、昔はホントにいい町だったんだよ。

小さい頃、温泉街の中に家があったから、学校帰りには、浴衣を着た沢山の人たちがいて、

通り沿いの店はどこも賑やかで活気があって、炉辺からはいい匂いがして・・・

夜の阿寒湖みたいに人がいっぱいいたんだよ。夜の阿寒湖行ったら懐かしてたまらなくなるよ。

今は町自体がなくなっちゃったんだけどさ・・・」

今の阿寒湖では、暇に任せて人があつまりゃ、

「昔はよかった、けど今は・・・」式の話で花が咲く毎日だが、

みんなに彼の話を聞かせてあげたい。

なんといっても、この30年の間に、頂からふもとに下ったとはいえ、まだ谷底ではない。

阿寒湖の夜は、それでもお客さんがガヤガヤと歩いてはいるのだから。

昔の「阿寒湖経済絶頂期」を知らない僕には、今日のお客さんが来る理由すら解らない。

阿寒の自然の素晴らしさなら、一応は知っているつもりだが。

山から下りて辻谷君たちと別れ、コタンの温泉で汗を流し、店に出た。

夕方になって、すらっとした男の人がやってきた。

床さん(父)はいますか、不在です。ではみどりさん(母)は、浦河に出かけました。

えーと、じゃあ絵美ちゃんや富貴子さんは?

ここにいたり、僕の知らない一家の知り合いだと推測、お知り合いですか、と訪ねた。

彼、答えて曰く、

「30年ほど前、プーだった頃、この店でやっかいになってたんですよ」

「おお、アルバイトしてたんですか?」

彼、少し照れたように笑って曰く、

「いやね、写真を貼る絵皿をね、この店の前で売らせてくれないかって頼んだら、

床さんがOKしてくれてさ、売り始めたんだけど、3日後にヤクザが難癖つけてきてね、

結局出来なくなっちゃったんだけど、そしたら床さんが「うちで働いてけって」言ってくれてさ。

あの頃は、何せ景気が良かったからね~、もうアルバイトの人は二人いたんだけど・・・」

え?

ちょっと待って、と僕がさえぎって曰く、

「その絵皿ってそれですか」

え?

と振り返って彼、絵皿を発見、

「お~!これこれ!まだあったんだ!まだ飾ってくれてたの!いや、うれしいな~・・・」

「昨日、ちょうどその話を、お母さんから聞いてたんですよ」

「え!ほんと?それはすごいね」

「ほんとですね」

おじさんは僕に背を向け、「いや、なつかしいな」と何度も繰り返し、

近くでよく見えるようにとメガネを外して、目を擦りながらじっとその皿を眺めている。

でもそのうち、やっと僕は気が付いた。おじさんは涙ぐんでいた。だからメガネを外したんだ。

程なくお父さんがやってきた。久しぶりの再会。

「朋遠方より来る。また楽しからずや」。僕は心の中でつぶやいた。

目の前で、30年前、阿寒湖が一番活気のある時代に青春を送った人たちが、

そのあとにあった色々を報告しあっている。

そりゃ、色々あるよな。阿寒湖だってどこだって。30年も経ったんだからさ。

それでもみんな元気で、ここにいるのさ。

しかし俺の30年後って、いったいどんなんなってんのかな~。

でも、ま、ケ・セラ・セラ、なるようになるさ。

タイトルはスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンの名曲からとったが、

最後は偉大なる植木等大先生の名曲でしめましょ~。

「そ~のうちなんとか、な~るだ~ろ~お~」

おそまつ!!!