歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

ある羆が自ら語った話

いつの頃からか私はここで暮らしていた

小さい頃は

母親と兄弟たちだけで幸せに暮らしていた

神様が持ってくる美味しい食べ物を食べて

私は兄弟たちと一緒に

どんどん大きくなっていった

しかしある日

いつものように目覚めた私は

母親と兄弟たちとの住処でない何処かにいた

たくさんの知らない大人たちがいるここへと

神様に連れてこられたのだった

大人たちは毎日

ほとんどの時間をごろごろと寝て過ごしてみたり

狭いその場所をぐるぐる歩き回って暮らしていた

たまに上の方に神様が姿を現すと

大人たちは立ち上がっておねだりをする

すると神様達は甘くて美味しい食べ物を下に投げてくれる

大人たちはそこを楽園と呼んでいた

楽園の意味はよくわからなかったが

いい処という意味なのだとわかった

でも私には

そこがそんなにいい処だとは思えなかった

確かに食べ物は美味しいが

狭くて毎日なにもすることがない

寝て食べるだけのつまらない毎日だ

だからある時一番の年寄りに

どうしてここがいい処なのかを聞いてみると

お前はここで産まれたから知らないだろうが

ここの外には広くていろいろなものがある世界があるにはあるが

でもそこは食べ物が少なくて

いつも腹を減らして歩き回らないといけない

神様の世界には食べ物は沢山あるにはあるが

それを勝手に食べた仲間は

みな神様に恐ろしい殺され方で死んでしまう

毎日腹を減らし

毎日死ぬかもしれない不安で暮らすことを思えば

なんの不安もなく

美味しい食べ物は毎日食べられる

ここが楽園なのだ

退屈な時は目を閉じて

風にのってやってくる色々な山の匂いを嗅いで

森の木々や土の感触を思い出せば

私はいつでもどこにだっている事ができる

そういう意味ではお前は少し不幸かもしれない

お前は山を知らないのだから

しかし若者よ

多くを望んではいけないよ

お前は楽園にいるのだから

そんなことを言われても

私はかえって不満に思っただけだった

そんな広い場所があるのなら

私はそこに行ってみたい

自由にそこを走り回り

自分で食べ物を探し

自分のお嫁さんを探して

そうやって自由に生きてみたい

そう心から思った

しかしそうは言っても

私に選択肢などなかった

私はいつしか他の大人たちと同じように

毎日なにも考えずに

ただ壁に囲まれた狭い世界の中をぐるぐる歩き回り

上に現れる神様の甘い食べ物を待つだけの日々を送るようになった

そのうちに外の広い世界の事など

すっかり忘れてしまっていた

それからしばらく経つうちに

なぜかはわからないが

そのうちだんだんと

あまり神様は上に現れなくなっていった

次第に食べ物も少なくなっていった

強い大人が最初に食べるので

私のような若い連中や

歳をとった弱い者は腹を減らすようになった

ある時ふと見ると

雪が外の壁の所に山になっている

好奇心の盛んな一番若い雄が

そこに登ろうとしている

それを空腹で真っ白な頭で私は見ていたが

ふと

昔の話が頭の中に蘇った

外に広がる広くて自由な世界の事を

あれを登れば外に出られるかもしれない

私は立ち上がり

その雪山を登った

周りの大人たちはただそれを眺めるだけだったが

天辺に私がたどり着き

上の柵に手をかけた時に

私がやろうとしている事を彼らは知った

やめるんだ

行くんじゃない

あの年寄りが言った

ここを出たら

お前は必ず神様に殺されるだろう

それなのになぜ楽園を捨てるんだ?

ここが楽園だって?

いつも私は腹を空かせている

ここが楽園なはずがない

きっと外には

もっと素晴らしいものがあるはずだ

少なくとも

私は今から自由を得る

自分の運命を自分で決められる自由を

そう言って私は

天辺の柵を乗り越えた

私の後に五頭の仲間が続いた

年寄りはもうなにも言わなかった

外の世界に出た私たちを見て

神様たちは騒ぎ周り逃げ出した

今まで私達を支配していた神様たちのそんな姿をみて

私はなんだか怖くなった

自分の中に湧き上がる恐ろしい気持ちに動かされて

追いかけて神様を叩いたら

あっさりと神様は動かなくなった

仲間たちも神様に襲いかかる

気がついたら

動く神様は誰もいなくなっていた

その時に私は自分が何者かを始めて知ったのだった

私たちは山の支配者

私たちこそが神

本来いるべき広い世界で

私たちは自由に暮らすのだ

しかし

その後広い世界を歩き出して間もなく

私たちは神様の恐ろしい道具で

あっという間に恐ろしい死を迎えた

楽園はなくなり

残された仲間はバラバラに

何処かへ連れていかれてしまったのだった

だからこれからの羆たちよ

どこで暮らそうとも

自分の運命を受け入れなければならない

広い世界で不安に生きるものも

あの場所で退屈に生きるものも

決して神様に逆らってはいけないよ

無残で恐ろしい最後を遂げたくないのなら

と逃げ出したせいで無残な最後を迎えた

若い羆が自ら語った