歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

ユクと歩むキト

北海道の長い冬に春の兆しが訪れた

昼は次第に長くなり

気温がゆっくりと上がり

雪が次第に溶け始める

水へと変化した雪は低い場所へと集まり

せせらぎの水量は日に日に増えてゆく

雨が降りだすと変化は急速になる

日々森の景色は姿を変える

まだ雪のある清流に顔を出したふきのとうが伸びだす頃

様々な植物の季節が爆発的に幕を開ける

ある日の奥山の小さな清流の畔に

一粒の小さな種が落ちた

それはキトの種であった

春を感じて発芽したそのキトは小さな根を伸ばし

太陽の光を利用し

根から吸い上げた水と土の中の身体の元を変換して栄養に変え根に蓄え

やがて一枚の小さな葉を生やした

夏にはその小さな葉は腐り落ちて分解され

キトの根が利用可能な養分になる

やがて夏が終わり

再び足早に北海道に長い冬が訪れるときに備え

小さなキトの根は次の春に備えてその栄養を蓄え

沢の畔の土の中でじっと息を潜めるのだ

次の春に伸ばした葉は少しだけ大きくなっていた

それは去年よりも多くの栄養を根にもたらした

夏に落ち分解された葉の一部はまた根の養分となり

水とともに流れた回収できない成分は

下手の土壌をキトの生育に適したものへと少しずつ変えていった

何年もかけて少しずつキトは大きくなって行き

葉は一枚から二枚

そしてついには三枚となり茎は太くなった

ある春に

キトの葉の間から

淡く赤い鞘が長く伸び出した

夏に花を咲かせるであろうそれは

やがて自らがそうであった小さな黒い種子をたくさん周囲に落とす

何年も何年もかけて

キトがついに母になる日がやってきたのだった

太陽と水と土の栄養と

そして自らの身体から作られた土壌に

キトの子供たちは次々に増えていった

やがて周りの子供達も母となり

その一帯にキトは繁茂していった

ある年の早春に

キトたちの所に一頭の立派なユクがやってきた

下流のユク達の道が雪解けに地すべりで崩れ

彼は新しい道を探し

この沢へとやってきたのだった

生え始めたばかりの柔らかいキトの葉を

糞を落としながらユクはつまむように食べた

その時偶然に

そのユクの蹄の間に

まもなく発芽を迎えるはずだったキトの種が

土と一緒に押し込まれた

ユクはキトの葉をつまみ終えると

その沢の奥へと歩いて行った

ふとした拍子に

キトの種は母たちから離れた上流の柔らかい土の中に

蹄に押し込まれて埋もれた

そして間もなく新しい小さな一枚の葉をそこで生やした

やがてその沢はユク達の通り道になった

ユク達はキト達の葉をつまんで

かつてはキトの身体だったものと

それ以外の場所の様々な植物の身体の一部を

キトや他の植物や様々な菌類や昆虫達が喜んで利用できる形にして

その沢筋のあちらこちらに排泄物として落としながら歩いた

時にはユクはその沢筋で死んで

その近辺の小動物や昆虫や菌類の栄養となり

またそれらの様々な生き物たちの排泄物や

死体のそばで行われる活動と淘汰と食物連鎖のもたらす全てが

生と死の循環が様々な形で移動しながら

しだいにその沢筋の土壌や水をより豊穣なものへと変えていった

やがて誰も知らない程の世代を経て

キトとその子孫たちはその沢筋全体に繁栄した

更に幾世代も過ぎるうちに

沢の上流にある山の尾根や

その尾根を超えた所にある様々な沢

笹原の中

岩場の岩の上の土を幾世代も歩き続け

旅を続けるあのユクの子孫たちによって

しっかりと形作られた獣道にそって

キトの子孫たちは広がっていった

目的も意図もなく

しかし着実に生命はより豊かに広がり続けるのだ

その関係は

いつ始まり

そしてどちらが先かは誰にもわからない

しかしこの世界が終りを迎えるその時まで

様々に形を変えながら

かつてのキトとユクだったのものは

生と死の循環の中で永劫の旅を続けるのだろう