歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

くりかえしくりかえし

今日朝から強い風と雨。そのおかげか朝から結構な来客あり。昼にはミッチパイセンご来店するも話ができず。しかも14時に食品衛生管理者の免許更新に伴う保健所様の御来襲が控えており、もうなんだかバタバタでてんやわんやであった。

ま、しかしお役人様の御訪問もスムーズにすんなりと終わり、お客様の足も途切れて急に静けさを取り戻したポロンノ。雨も上がりちょっと晴れ間も見えたのをいい事に自転車練習。今日はマニュアルもウイリーも調子がいい。なーんて気を抜いた瞬間にへダルを脛にまた食らっちゃったけど…。

汽船営業所に顔を出してバイオレンス先輩とDD先輩と世間話。千さんもそうだが、この人たちはなんでここまで…というほど会話のキャッチボールのスキルが高い。話しているととても面白い。

そうこうしているうちに夕方。晩御飯は妻の作ってくれた鮭のオハウとキュウリと山芋の酢の物、そしてキャンプから帰ってきた息子が釣って持ち帰ったアメマスの塩焼きだ。

考えてみれば、息子が釣った魚を食べるのは初めての事だ。これはなかなか感慨深い。彼はいつの間にか、食べられる魚を一人で釣れるようにまで成長していたのだ。

13年前の11月17日、初めての我が子である長女の立ち会い出産の時、産まれたての娘を抱いた時に最初に頭に浮かんだのは「ああ、俺はいつか死ぬんだな」という理解だった。目の前で新しく産まれる命を感じた瞬間に、太古から繰り返し繰り返し延々と営まれてきた生と死と循環の、自分もその一部であるという事を観念ではなく理解できたような気がした。

その後その理解はだんだんとまた薄れていき、自分は不滅の世界の中心であって自分が存在しない世界などあり得ない的な感覚が強くなっていったように思う。

しかし最近また、思春期を迎え急速に成長し大人へとみるみる変化している娘の姿を見るたび、そして今は息子の釣った川魚の塩っぱい味を味わいながら、俺は流れる時間と同じ時は二度とない子供たちとの日々と、いつかは終わる自分の人生をなんだか切なく感じている。

だが、この感覚は決して悪くないよ。

老いていくのが楽しみだ。