先日Twitterで知ったのだが、朝日新聞のお悩み相談コーナー「悩みのるつぼ」に寄せられた、「アイドルグループに夢中な夫」という、なんだかどこかで聞いたことがあるような、なんだか他人事とは思えない悩みをもつ40代女性への社会学者・上野千鶴子氏の回答に感心した。
ちなみに記事へのリンクはこちら。
http://twitter.com/ssm_mmm/status/350820995143200768/photo/1
なるほどな、と思ったのは、
「家族とは同質な集団に見えて、実は、異文化度が最も高い集団です」
のくだり。たしかに。
妻と自分はそれぞれ遠く離れた所で生まれ育ち、背負った歴史的背景も価値観も民族も文化も異なる部分がそれぞれある。知り合うまでは赤の他人だし。知り合ってからも、結婚して一緒に暮らすようになっても、好みも興味も全然やっぱり違う人間同士だ。
まあでも、それがいいんだけどね。
二人の具体的な違いは多々あるが、毎晩感じるのは寝る時の電気への考え方である。
俺は常夜灯をつけるのが嫌。部屋を真っ暗にして、できればカーテンも窓も開けて風を入れたいタイプ。
妻は常夜灯をつけてカーテンを閉めて寝るのを好む。
ちなみに、これは一致するのだが、我々は常夜灯のことを「こだま」と呼ぶが、どうもこれは方言の一種らしく、正しくは「常夜灯」ないし「なつめ球」というらしいなつめ球なんて言い方、聞いたこともないけどな。
よってこれからは「こだま」と呼ぶことにする。あれはこだま。
妻にいわせれば、こだまをつけないと暗いじゃん、というのがつけて寝る理由で、どうせ寝るんだから暗くていいじゃねぇかと俺などは思うが、まあしかし夜中に目が覚めた時、たしかにちょっと明かりがある方が便利ではあろう。それはそう思う。
しかし、俺には実は合理的理由を受け入れ難い理由がある。俺には幼少期に植え付けられた、こだまへのトラウマがあるのだった。
俺の母の実家は岩手の北上山地のど真ん中のど山奥、柳田國男の名著「遠野物語」にも登場する「小国」という隠れ里みたいな山間のど田舎であった。
子供の頃から俺たち兄弟は、休みになると小国に連れていかれて何日か泊まるのが常だった。
小国に行くと、孫が泊まりに来るのをいつも楽しみに待っているじいさんばあさんが、これでもかと色々美味しいものを食べさせてくれた。
裏山の畑のトウキビやイモや、庭に生えている桃、家の前の川に住むイワナやヤマメ、焼肉や三陸の魚、お菓子だって何でも買ってくれる。帰りには必ずおこずかいもくれた。
虫捕りと川遊び、芋掘り、真っ暗闇の夜道に光るホタル、苅った畦道の草の匂い。
ああ、懐かしき小国での日々よ。
しかし寝る時間は恐怖だった。
じいさんばあさんは百姓なので朝がとてつもなく早い。故に夜寝るのもとても早い。だから俺たちも早く寝なければならないのだが、そんなに早くはなかなか眠れない。
俺たち兄弟の寝る部屋は決まっていて、先祖と山の神を祀る部屋の隣だった。その部屋は一種独特の厳かさというか畏れを感じる家庭内スピリチュアルスポットで、昼間でも入るのがなんだか躊躇われるのだ。
夜になるとその部屋は大人になった今でもたまに夢に出てくるほどに恐ろしいほどの家庭内ミステリースポットへと進化する。まっ暗いその部屋に足を向けて寝ているのが怖くてたまらない。なんだか吸い込まれそうなので。
それなのに兄弟たちは兄を置いてさっさとぐーぐー寝てしまう。なんて薄情なやつらなんだ。
寝られないでいると、山奥の寒村なので、外は車も通らずシーンとして、あまりに静かなので、自分の耳鳴りがうるさいほどだ。
しかも山奥の寒村の農家なので大きなネズミが住み着いており、たまに天井裏を走り回るのだ。当時の俺はしかし、うしろの百太郎を読んで得た知識によりその音をラップ現象であると認定、天井裏の怪現象を毎夜非常に恐れていた。
しかもひどいことに、そんな中でもなんとかようやくうつらうつらするタイミングで、柱時計が30分おきにボーンボーンと鳴るのだった。これがまた恐ろしい。ていうかうるさいのでその度に目が覚めてしまう。
眠れずに俺は毎晩天井のこだまを見つめていた。じいさんばあさんの家はこだま推奨の家だった。もしかしたら、夜中に孫がションベンに起きるのに困るとつけていてくれたのかもしれない。
しかし恐怖で増幅された想像力で眺めるあのオレンジ色の光は、まるでショッカーに捕まり改造手術を受ける本郷猛が手術台の上で見上げた光のように禍々しく感じられた。あのオレンジの光を見ているうちに眠りに落ちUFOに連れ去られる夢などに発展したり金縛りあったりするケースが多々あった。
そうしていつしか俺の脳に、こだまのオレンジ光は不吉と不安と心細さ感じさせる存在として刷り込まれたのである。
でももう大丈夫だけどね。大人だから。
この話は妻にもした事があるが「ふーん」で終了だった。まあそんなものさ。こだまへの俺の想いが妻にわかるはずもない。というか、他の誰にもわかるまい。それぞれ違う人生を歩んできたわけで、これからもわからないことはわからないままで生きて行くのだ。あの部屋の恐ろしさを大人になった今では俺だって体験はできない。子供の頃の自分の記憶の中に小国での日々が残っているだけだ。