歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

水圏

共同温泉の戸を開けて中に踏み入る。

もうもうとした湯気が身体を湿らす。

身体を流し、湯船の中に入ると、

温泉が私の身体をじんわりと暖める。

考えてみれば不思議な事だ。

地球の大気中や川や海、

空に浮かぶ雲から地中深くの地下水脈まで、

水は形を様々に変えながら循環し、

至る所に遍在している。

いつが始まりなのかは知らないが、

ある時雪や雨となって阿寒湖の森に降り注いだ水は、

土の中へと長い時間をかけて沁み渡り、

人間が未だ見た事もない地中深くで星の熱に熱せられ、

細い穴から汲み出され、

パイプで繋がった私のいる浴槽へと流れ込む。

温泉の浴槽の中にいる時、

私は見た事もない地球深奥の水と繋がっているのだった。

温泉から上がり夜の路を家へと歩く。

空からは雪がゆらゆら舞い降りる。

オレンジの街灯に照らされて降り続ける、

マリンスノーのような、

あるいは珊瑚の産卵のような雪を眺めていると、

私は、まるで音も時間もないような、

無限そのものを眺めているような気持ちになる。

世界に満ちる水はここでは柔らかく冷たい塊となって無数に降り続ける。

一体、この瞬間にどれだけの数が存在し、

ひとしれず降り積もるのだろうか。

答えはあるはずだけど、誰もそれを知る事はできない。

こんなにも身近でありふれた雪は、

そのすぐ後ろに人智を拒む無限の謎を秘めている。

春になれば溶けて野山を潤し、

緑を芽吹かせるそれは、

今は暗い空の奥から音もなく、

終わりなくただ降り続け、

景色をふんわりと白く変えていくのだった。

血液や羊水は、原子の地球の海の組成に似ているという。

私たちその始まりから今に至るまで常に、

姿形性質を変え続ける水の中の世界、

水圏の中で生かされているのだった。