歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

二つの木の話

およそ八百年前に

鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に

小さな銀杏が芽を出した

その銀杏は成長しながら

人間世界の様々なドラマを目撃する

公暁源実朝待ち伏せして殺す現場を見た

里見氏に鶴岡八幡宮が焼き討ちにあい

北条氏によって再建されるのも見た

秀吉が頼朝像の背中を笑いながら叩くのを見た

徳川幕府による神社の隆盛とその後の廃仏毀釈を見た

関東大震災で本殿が倒壊するのを見た

様々な時代の様々な人間たちが参拝に訪れるのを見続けた

いつしか銀杏は大銀杏と呼ばれ神木となり

しめ縄を巻かれて鶴岡八幡宮のシンボルとなった

年老いた大銀杏はしかし

平成22年の強風でついに倒れる

三つに切断されて一部が移植され

今もなお境内で生き続けている

その大銀杏が芽を出した頃

遥か遠いアイヌモシリの

カントーの畔の森の中で

小さな桂の種が芽吹いた

しかし境遇は大銀杏とはまるで違い

人跡未踏の深い森の中で

その桂の木はひっそりと

スクスクと大きくなって行く

動物たちや鳥たちや虫たち

様々な種類の木々や植物や微生物

ごく稀にやってくる人間たちの盛衰と循環のダンスを

深い森の中でその桂は見続けた

やがて辺りにその桂よりも大きな木がいなくなってしまっても

桂を神木と呼んだり

しめ縄を巻いて崇めたりするものはいない

大銀杏が倒れても

元気に立ち続けるその桂の木は

これからも深い森の中

辺りに威容を放ち

森の生と死の循環のドラマを見続けるのだろう

やがて自らも倒れてその循環の一部となるその時まで