歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

一年って早いね。

なんとなく更新しようと思いたち、

久しぶりに覗いてみたら、なんと一年経過…!

こうやって暇つぶしを日々繰り返しながら、

やがて人は死ぬんでしょうね。

まあそれもまた人生。

全ては宇宙にとって必要な事なのです。

先日の日曜に娘と釧路に出かけ、

時節柄、なにかと話題である「ミツバチの羽音と地球の回転」を観て来ましたよ。

取り合えず日記的にその感想でも書こうかな。

祝島の反対派と、閉鎖的かつ保守的な日本とは対象的な、といった印象で取り上げられるスウェーデンを中心とした話で、

原発推進の立場の意見は、経産省の下っ端と中国電力の人がありがちで下らん建前論を言っていたが、

地元にも推進はいるはずなんだよな~。

その人たちの意見も見たかった、と言うのが感想その一。

まあ大体わかるんだけど。言う事は。

最初のシーンは主役の偉い三十男がヒジキを採るシーンから始まるのだが、

俺なんかなまらひねくれてるから、

ああ、そういう対比なのね、とか考えちゃうんだけど、

要するに、実際、取り上げられる反対派は、皆一次産業従事者の島民な訳ですよ。

つまり、過疎化と経済の低迷で衰退する、

日本全国に腐るほどある田舎町の中の、

実はいわば勝ち組な訳です。

生活が成り立っているから、住み続けられる。

そして、その生活の基盤が脅かされている、というのが反対運動の強い動機になっている訳です。

それ以外の、地元では生活する事が出来なくて、

年寄りは田舎に、若いのは街に働きに、という家庭は、

あそこにはおらん訳であります。

そして年寄りの親が、

原発あったらうちの息子が帰ってこれる」

なんて賛成しちゃう訳ですよね。

だから、「地元の自然を守りたい」という思いなら、もしかして共有できるんだけど、

「自分たちの生活が脅かされる」という理由は、

賛成している他の島民とは相入れないものなのです。

だから、運動が外に広がらない。

自然を守る、それだけじゃ無理です。

まあ都会から来た自然大好きな人にはそれでいいんだけど、

到底マジョリティーにはなれない。

でもこれだけは思うが、原発に限らず、

ただ、今の生活を維持するという、それだけの理由のために、

地元の風土や自然を破壊し尽くして、

それが子供達の為になるなんて考えは、

まあいっちゃ悪いけど馬鹿だね。

先祖に顔向けが出来ないし、

必ず子孫に笑われる。

ましてや現状の原子力発電なんてのは…

平和ボケした痴人の夢だね。

でもまあ、ちょっとだけ映画の中で取り上げられていたけど、

島の戦後の生活の移り変わりは、

そのまま日本の戦後地方史と言い換えてもいい。

お金はどんどん一箇所に集まって行くし、

再配分の方法は行政を通じた公共事業と一次産業への助成だけだし、

細かい事は省くけど、田舎はどんどん衰退して行くのがここの所ずっとある流れだ。

そうした流れを変えないと、大都市のための原発が田舎に建つのを阻止するのは不可能。

とりあえず、地産地消が大事かも。

あとは、なるべく地元の商店を使いましょう。

まずはそこからかな。