有史以来、人間の家畜として、狩りのパートナーとして、そして家族や友人として、
人間社会と共に生き続ける『犬』は、
その必要性に応じて、長い時間をかけた『改良』の結果、様々な品種が存在するに到った。
日本列島においても、時に自然に、時に人間の移動と共に、或いは時に交易品として、
いつしか多くの犬が暮らすようになった。
様々な種類の犬が買われ、飼われ、生きるようになる。
二十世紀末、日本列島のどこかで、一匹の雄の犬が生まれた。
賢くて温厚で可愛らしい、金色の長い毛をもつヨーロッパ生まれの品種である、
そのゴールデンレトリーバーの子犬は、その優れた遺伝的特性を買われ、
やがて『アド』と名づけられ、日本政府の備品となった。
北海道の空の玄関・千歳空港にやって来たアドは、
岩手県の高校を出たての、若い人間の、税関職員の女と出会った。
アドも彼女も、千歳空港の税関で、政府の仕事をするべく訓練を受けた。
アドは麻薬犬として。
女はアドのハンドラーとしてである。
アドにとっても彼女にとっても、これが最初の仕事だった。
アドは賢い犬だったが、ストレスに弱い犬でもあった。
アドの主人も、生真面目な、責任感の強い女性だったが、
それだけに、なかなかうまく行かない自分達パートナーの訓練結果に悩む日々が続いた。
飼い主の心理は犬にも伝わる。悪循環もあった。
しかし、そのうちに彼女達の努力は報われ、一人と一匹は空港で働く事になった。
そんな仕事の毎日も、アドが六歳の時、終わりを迎える事になる。
ストレスに弱かったアドが、空港の仕事での緊張に耐えられなかったからだった。
温厚なアドへのダメージは、自身の体へと向かった。
円形脱毛症から、胃潰瘍まで症状が進んだ時、人間たちは、アドを仕事からはずした。
仕事をしなくなったアドは、しかしそれでも政府の備品である事に変わりはなかった。
生き物だろうがそうでなかろうが、用済みになった政府の備品の運命は二つ。
『払い下げ』か、『廃棄処分』である。
ハンドラーが引き取るという結果も多いが、しかしそれが全てでもない。
貰い手のない『備品』の運命は、最悪の場合『薬殺』である。
しかもアドの場合、通常よりも早く仕事をリタイヤしたというハンデがあった。
そして、まだ若く独身で、官舎住まいの彼女には、
アドを飼うための場所も、経済的余裕もなかった。
そこで彼女は、阿寒湖に住む兄に、アドを飼えないかと相談をした。
犬を飼う経験を持たなかった彼女の兄は、深く考えないで簡単にOKした。
彼が一緒に暮らす妻の一家は、その前年まで犬を飼っていたので、
きっと犬好きだし、同意してくれるだろうと。
事実、同意はしてくれた。アドの境遇を話して、説得をした結果ではあるが。
そしてアドは阿寒湖へとやって来た。2001年の事だった。
空港にいたときのアドは、毎日シャンプーとブラッシングされて美しく、
体調管理も完璧に行なわれていた。
しかし道東の大自然の森の中の家に飼われる様になってから、
アドは見る見る自然の状態に戻っていった。
春の山菜採りに一緒に行けばダニに食われ、
湖に散歩に行って泳げば泥まみれになり、長い毛はもつれて固まった。
新しい飼い主のまったくの無責任は、更にそれに拍車をかけた。
あっという間にアドは、かつてのアド、美しい金色の麻薬犬のアドではなく、
たまの散歩を待ちながら、万年床のわらや土の上でごろ寝をする、古い毛布のようなアドになった。
新しい主人は気まぐれで、散歩や登山や山菜採り、キノコ採りにアドを連れ出した。
何もかも、アドにとって見れば初めての経験だった。
そこはありとあらゆる生き物がいて、色々な初めての匂いに満ちた世界だった。
他の犬、色々な植物、様々な動物や昆虫の痕跡やフンの匂いの世界。
最初は、近所の犬や野生の鹿を見ても、
本能より訓練が勝ち、無反応を装ったアドだったが、
そのうちに自然と、他の犬のお尻の匂いをかいだり、
鹿を見ればちょっとだけ追いかけることをおぼえた。
森の中、熊の気配と匂いに、主人と一緒に恐怖と緊張も味わった。
キトピロ探しに奥山へと分け入ったり、
一家の子供たちと岩ツツジの実を採りに行ったり、
雄阿寒だけのてっぺんにコケモモの実を採りに登ったり、
キノコ採りに行って森の奥で道に迷ったり。
楽しい日々があった。
それから毎年、そうしてアドは阿寒湖の森の中を歩き回った。
冬には凍った湖の上も歩いた。
近所のライダーハウスのラブラドールレトリーバー『シロ』と、友達になった。
そうしてそれから七年後の十一月、すっかり弱ったアドは、
毎日餌を与え続けた一家の父の敷いたわらの上で、寒い夜に死んだ。
シロが最初にアドの死を知り、シロの主人がアドから首輪をはずし、傍らに置いた。
阿寒湖での飼い犬としてのアドの生は、その時、終わりを迎えたのだった。
次の朝、父と義理の息子は、アドを阿寒の森の中に埋葬した。
そこは地熱が高い場所だったので、まだ地面が凍っていなかったからだ。
しかし、たとえ暖かい季節だったとしても、主人は森の中にアドを埋めただろう。
彼は山菜や鹿肉やキノコなど、自然の恩恵を受けて日々暮らしているので、
いつかの自分の死も、そういった自然の循環の中にある事を望んでいたからだった。
そうしてアドは深い森の中の、イタヤカエデやナラの木に囲まれた、
二本の大きなエゾマツの間で、ふかふかした腐葉土の穴へと埋められた。
マイナス25度にも達する阿寒の冬の間は、変化は押さえられていたが、
春になり、地熱の上昇と共に、地中の微生物の活動は徐々に活発になっていった。
目に見えない生き物たちはアドの体を見つけ、エネルギーへと変換した。
こうしてアドの一部は微生物たちになり、捕食の結果、さらに大きな微生物の一部にもなった。
そのうちに一次分解者の昆虫たちもアドの一部を取り入れ、
キツネや鳥たちや、もしかしたら熊も、アドだった部分を体に取り入れた。
周りのエゾマツや柏ナラなどの森の木々も、一部がアドになった。
同時に、アドは周りの木々や動物や昆虫たち、目に見えない生き物や微粒子になった。
そして昨日の事だ。
久しぶりに、犬だった頃のアドの元飼い主が埋葬場所を訪れてみると、
生命に溢れる夏の緑の森の中で、
その場所はくぼみ、その中に、アドの骨が見えていた。
きれいな、真っ白な骨だった。
生きていた頃、彼を悪戯にかんだアドの牙を、彼はそっと触れ、楽しかった時の事を思い出した。
そして、手を合わせながら彼は思った。
お前は森になったんだな。
『俺がお前を食べる時、俺はお前になり、お前は俺になる』
その輪の中に、お前はまた、戻っていったんだな、と。
そしてこれからも、いつまでもアドの一部は、
木になったり、人間になったり、虫になったり、石になったりしながら万物の中を流転し、
時の終わりまでも旅を続けるのだろう。
もしかしたらその一部はまた犬になり、
今度はもっといい飼い主とめぐり会い、もっと喜びに満ちた生を送るのかもしれない。
そう願わずにはいられない。
(ウイリアム・プルーイットとアドに捧げる)