一昨年に、国連総会で採択された『国連先住民族権利宣言』についての勉強会があるというので、
なんだかYO分らんがウヌカラチセに行ってきましたよ。
長ーくて難しーい話を俺なりに乱暴に要約すると、
『圧倒的多数で採択され、日本も批准した国連決議を、
国際条約を尊重するとの一項がある憲法を持つ日本は守る義務があり、
ゆえにアイヌに対する過去の行為への反省を踏まえ、
アイヌが北海道や千島列島、樺太に於ける自己決定権や土地や海への権利などを認め、
教育や経済的な補償やらなんやらを行う義務が日本政府にはあり、
具体的にはこんな感じやあんな感じの要求になったり、
あんなのやこんなのが考えられるのではないか』
的な内容だったように思うが、なにせ大変難しい話であり、
かなりなうろ覚えであろうか、と思われる(談)。
先生のお話の後、質問タイムに入ったはいいが、
内容が内容であり、聞いているのが俺だったリコタンのその辺のおっさんな訳で、
なかなかマイクパフォーマンスを志願する猛者は現れない。
それでも、当コタンの文化保存会長ら数名が質問を受けて立つ。勇者である。
何人かの後、うちの社長であり家長でありコタンの宇津井健と呼ばれなくもない、
アキラっち父さんが、なかなかいいこと言ってましたよ。
要約すれば、十年ちょっと前の、国連と外務省の人たちが、視察に来た時からすれば、
隔世の感があって感慨深い、とかなんとかだったかな。
その人たちが来た1997年には、いわゆる『アイヌ新法』が出来たんだよね。
『旧土人保護法』などという、超上から目線かつ言語道断なFUCK法が廃止になった年でもあり、
日本政府が初めて国連の場で、『実は日本に、アイヌいます』と認めた年でもある。
(それ以前は、「もうアイヌなんていません」ってずっと言い続けていた我が国(恥))
でもアイヌ新法も、進歩ではあるけど、いろいろ問題がある内容でもあったらしい。
それから十年で、以前なら確かに考えられないようなことが公に議論され、
新聞やテレビでも報じられるようになった訳で、
まあ、確かに時代は変わっていくんだな~って思うね。
アイヌJAHない俺にとってもうれしい変化だよ。
俺の日本も、だんだんと器がおっきくなってきてんじゃん。
アイヌの、いわゆるマイノリティーの話に耳を傾けようとしているぜ。
工業と経済と法と軍隊による搾取ではなく、話し合いで前進しようとしているぜ。
日本の、だんだんましになってる部分ってのもあるんだな、ってね。
その調子で、ほかんとこも行こうぜ日本。頼むからさ。
なーんて話なんかをしながら、その晩、オトンと二人で飯を食っていたら、
面白そうなNHKの番組がやっているJAHあ~りませんか。
「戦争と平和の150年」ってな番組で、全部は見てないんだけど。
まあとりあえず、その一部分だけの内容は、といえば・・・
アメリカのペリーがちょんまげの国にやってきた理由は、
『ファッキン・グレートブリテンがまだ植民地化してない、数少ないアジア土人の国だから、
大砲持って行ってみて、唾付けてくっぺ』というものだった! ガーン!
弱肉強食な欧米野蛮人のインペリアリズムな論理にショックを受けたちょんまげ首狩り族、
欧米人の真似を全力で開始!
だがしかし、制度や法律を真似をしただけでは鼻にもひっかけられない事実が判明、
「よし、そんなら富国強兵だ!」と福沢諭吉、学問のススメを執筆!
ついでに欧米の論理で近所のブラザーアジア人どもを植民地化だ!同化だ!
資源と市場と奴隷GET! やりー!
(番組ではやってないが、ついでにアイヌも日本人にしちまえ!)
ってな感じで、むき出しのパワー対パワーによる、超おっかない内容。
小さき者の権利など一顧だにされない、マッチョな帝国主義の時代。
オトンと俺は、昼間の話とは正反対な、かつての暗黒のパワーポリティクスに圧倒され、
ただただ無言でテレビを観たのだった。
我々がどこから来て、どこへ行こうとしているのかを、
この日一日におきた、与えられた情報のギャップに戸惑いながら、
まるで探し求めるかのように。
問題は演説や多数決ではなく鉄(武器)と血(兵士)によってのみ解決される
「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。
狭い国土に住民も少なく、いろいろ便利な道具があっても使用しない。
生命を大切にさせ、他国に移っていくことがない。
舟や車などの乗り物があっても、人はそれに乗ることなく、
よろいと武器があっても、これを並べて戦争することもしない。
人は文字を使うことをやめ、古代のように縄を結んで文字の代わりにする。
その土地の食物をうまいと思って食べ、その服を美しいと思って着、
その住居に満足し、自分の国の風俗習慣を楽しんで暮らす。
隣国とは互いに眺めることができ、鶏や大の鳴き声が聞こえ合うほど接近していても、
人は老いて死ぬまで、その隣国と行き来しない。こんな国こそ、理想的である。