今日の朝はなんとなく、いつもの道を通りたくなかったから、
阿寒の森を東西に縦断する送電線の下を歩いてアイヌコタンに出勤した。
俺の眼前に、送電線の造るその道ははるか遠く、
シュリコマベツ側の阿寒カルデラ外輪山まで一直線に、
初夏の色になった樹海を穿ち、釧北峠の向こう側へと消える。
人が手を入れなければすぐに、空間を埋め尽くそうとする旺盛な大自然の緑の壁の中、
営々たる人為が作り出す、くっきりとした、圧倒的な一本の爪あと。
人の歴史そのものの光景といえる。
暗い森と対照的に、日当たりのいい笹原のその道は、ワラビなんかにゃもってこいの居住環境だ。
なので、ワラビはないかと辺りを見ながら歩くが、しかし一本も見当たらない。
見方を変え、やはり同じような環境を好むイケマを探した途端、あるわあるわ。
後ろを振り返れば、さっき見て歩いたはずの所にも、なーんだ、いっぱいあるじゃんか。
同じ場所を見ていたとしても、そこからくみ出される意味は心のありようによってまったく異なる。
『見たい現実しか目に入らない』ってやつだ。俺の人生そのものだ。
しばらく行くと川があり、丸太橋が渡してある。ここはちょっとお気に入りだ。
官僚建築の丈夫で立派で安全な橋では味わえない、軽いドキドキとハックルベリーフィン感覚。
ぐらぐら揺れる二本の丸太の上から見下ろすこの川は、日本語ではウグイ川と言うが、
ちょっと行った下流にある意味不明人造滝のせいで、ここにゃ魚なんぞはろくにいやしねェ。
まあ、昔を忍ぶことができるという意味ではいい名前かも。
さらに昔、この川の呼び名はおそらく『オンネサルンベツ』。
アイヌ語で、『河口に葦原のある親の川』という意味だ。
支流の、今は涸れてしまった『ポンオサルンベツ』『子供のオサルンベツ』と対になる名前だ。
阿寒湖アイヌコタンに『オサルンベツコタン屋』というナイスなお店があるが、
その由来となるコタン(アイヌの集落)が、かつてこの付近にあった。
さらには遡る事数千年前の縄文時代中期にも、
ここいらへんに縄文人たちの集落や、ストーンサークルがあったことが発掘の結果わかっている。
その証拠に、川沿いの斜面をほじくってみりゃ、土器なんかが出てくると言う話。
でも今は、そんな遺跡の痕なんてなーんもありゃしねェ。知ってる人もろくにいやしねェ。
教えてくれた近所の長老曰く、
『国道建設工事の際に見つかったその遺跡は、一応ちょっとは発掘して色々出たもんはでたけど、
最終的には道路の下になってつぶれちゃった』んだと!!!
数千年前の遺跡の上を走る道路なんて、なんてゴージャス!!!阿寒湖太っ腹。
そりゃ~ウグイごときなんぞ遡上も出来なくなりますわな。
金にもならんエコロジーや伝統よりも、経済合理性とブームの追求の方が大事だもんね。
『阿寒湖』というフィールドの中、何を見、何を考え、何を感じ、何を選ぶのか。
いずれにせよ、見たい現実しか見ない、俺を含む人間達全ての、
その日その日の人為の積み重ねが歴史なんだろうね。