歩論野亭日常

阿寒湖の辺りで

劇的なカルマの精算

超最高だった今日のフジロックの折坂悠太重奏のMCで彼が「去年はフジの出演を断念した。今年は出た。状況的に何が違うの?といわれると答えられない。でもそういうある意味、場当たり的な試行錯誤こそが生きるということ」的な事をいってて、ほんと日本の空気の変遷を的確に捉えてる、というのと、その中で生きる自分の感覚に正直だなぁ、それこそが現代日本のモンスター詩人の才能だなぁ、と感じた。

 

そういった現実との理屈では説明しきれないリンクという意味では、コーネリアスこと小山田圭吾の見事な素晴らしく気合の入った完璧なライブを感動しつつ見ながらも、彼の身に去年起こった一連の出来事から、人が自分ではコントロールなどできるはずもない、俯瞰すれば宿命か業とでもいうべきしかないような恐ろしくものちに振り返る事でしかポジティブに捉えられないような深い人生の経験を潜り抜けこの目の前の素晴らしいライブに繋がる現実を目の当たりにしながら、同時にあの安倍晋三に起こった出来事を思い出さずにはいられなかったのだった。

 

小山田圭吾フリッパーズギター以降、ソロになってからも小沢健二共々、順調に音楽的なキャリアを積み上げ、そして東京オリンピックの音楽担当という、いわばそれまでの人生の頂点に差し掛かろうというその時に、過去の自分の、Quick Japan誌(当時俺も愛読してて、持ってる) でのインタビューにおける、イキったイジメ発言発掘(のちにこれはほぼ冤罪ということが立証された) をキッカケに、結局は袋叩きからの音楽担当辞任。人生っつーか世の中はそういうことがあるんだよね。最高の手前でのカルマの強制精算。

 

シンゾーも完璧にそうでしょ?
満州でアヘン利権を仕切って、戦後A級戦犯として死刑になるところをCIAに日本をコントロールする道具の一つとして命を救われた爺さんこと岸信介から始まった、同じくアメリカの道具である統一教会とのズブズブな関係。


その祖父の代からの念願である、日本の保守の病的な価値観である戦前回帰を実現するための憲法改正。盲目な羊の群れと化した、善良な茹でガエルのような日本大衆の切ない現状維持への願いに根ざした政治的無関心に胡座をかき、あと二日後の、参議院選挙の結果でほぼ間違いなくシンゾーの夢と野望と矮小な虚栄心が満たされる、彼にとっての人生の絶頂を目前とした、まさにその時に。


その統一教会によって家族を、己の人生を滅茶苦茶にされ、その政治権力とカルト宗教の結びつきを誰もが無視する社会に絶望した一人の男が、栄光の目前のシンゾーを射殺するという、日本の歴史に残る、劇的なカルマの精算。恐ろしいね。


小山田圭吾のように、自分のツケやコントロールできない宿命的な事象に対しても、ある意味謙虚に誠実に粛々とした営為をもって対応することができれば、このような素晴らしい復活劇にもつながり、


あるいは安倍晋三のように、その生まれからくる下駄をはかされた勘違いを最後まで修正できず、咥えさせられた銀の匙を、あまりにも当然の事として、なんら疑問に思うこともなく、その陰で誰かどのように感じているのか、どんなふうに見知らぬ人々が犠牲になり続けているのを本当に想像し感じることもなく生きられた、ある意味では不幸な人生の結果、あのような因果応報としか言いようのない結末に至る。こんな劇的なカルマの強制精算ってある?

 

優れた表現者の優れた切実な表現はこんなふうに、真っ当に色々と感じさせてくれるんだよね…